目黒蓮が演じる納棺の所作とは――映画『ほどなく、お別れです』に込められた意味

目黒蓮が演じる納棺の所作とは――映画『ほどなく、お別れです』に込められた意味

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2月6日公開予定の映画『ほどなく、お別れです』のパンフレットには、
目黒蓮さんが演じる漆原が、納棺の儀を行っている場面が掲載されています。

帯を整え、白い着物を広げる――
その所作が写真として切り取られており、
本作の中で納棺の儀が丁寧に描かれていることが伝わってきます。

本コラムでは、この納棺の儀における動作に注目しながら、目黒蓮さんが行っている納棺の儀は誰から教わったのか、そしてこの儀式にはどのような意味があるのかについて触れていきます。

葬儀監修と技術指導 ――『ほどなく、お別れです』に描かれる納棺の儀

映画『ほどなく、お別れです』では、納棺の儀をはじめとした葬送の場面において、専門家による監修と技術指導が行われています。パンフレットには、葬儀監修として「おくりびとのお葬式」の名前が記載されており、所作や作法の細部にまで意識が向けられた作品であることが想像されます。

「おくりびとのお葬式」は、納棺の儀を中心に、故人を送り出す時間そのものを大切にする葬儀社として知られています。その代表を務めるのが、現役の納棺師でもある 木村光希さん です。木村さんは、映画制作の現場において、目黒蓮さんに対し、納棺の動作や所作の意味を含めた技術指導を行ったことを、自身のX(旧Twitter)※1でも発信しています。

Xより:木村光希さんポスト

さらに注目すべきなのは、木村光希さんが 納棺師としての技と思想を受け継ぐ“二代目”である という点です。木村光希さんのお父様が、2008年公開の映画『おくりびと』において、主演俳優に対する納棺の所作や作法の技術指導を担当した人物として知られています。Yahoo!ニュースの特集記事※2でも紹介されている通り、そのお父様は、納棺師という仕事の精神性や意味を映像表現へ落とし込む役割を担い、『おくりびと』の印象的な納棺シーンを支えました。

その父の背中を見て育った木村光希さんは、納棺の技術そのものだけでなく、「なぜその動作を行うのか」「どのような心持ちで故人に向き合うのか」といった、目に見えない部分も含めて受け継いでいます。そうした背景があるからこそ、『ほどなく、お別れです』における納棺の儀も、動きの正確さだけでなく、空気感や間の取り方まで含めて監修されていると考えられます。

このような技術的・思想的な積み重ねを踏まえると、『ほどなく、お別れです』で描かれる納棺の儀は、予告映像やパンフレットに掲載されている場面からも、所作一つひとつに意味と丁寧さが込められていることが感じられます。
静かで無駄のない動きの連なりが、画面を通して「静かな尊厳」を伝えてくる――本作の納棺シーンは、そうした印象を強く残すものとなっています。

木村光希さんの発信から読み解く、目黒蓮さんへのまなざし

映画『ほどなく、お別れです』における納棺の儀について、技術指導を行った木村光希さんは、自身のX(旧Twitter)を通じて、目黒蓮さんの取り組みや所作について繰り返し言及しています。その発信からは、単なる役者と指導者という関係を超えた、強い信頼と評価が読み取れます。

まず木村さんが強調しているのが、目黒蓮さんの練習量と姿勢です。投稿の中では、目黒さんが納棺の所作を身につけるために、繰り返し練習を重ねていたことに触れられており、その努力を率直に認める言葉が綴られています※3。これは、所作が「教えられたからできるようになった」のではなく、身体で理解しようとする過程を経ていることを示しています。

また木村さんは、目黒さんの動作について、一つひとつの所作に意味や想いが込められている点にも言及しています※4。納棺の儀は、型をなぞるだけでは成立しません。故人に触れる理由、その順番、手の置き方、間の取り方――それらを理解したうえで初めて、所作は「儀式」として成立します。木村さんの発信は、目黒さんがその領域にまで踏み込んでいることを示唆しています。

さらに別の投稿では、目黒蓮さんが演じる漆原という人物像と、納棺の所作とがしっかりと結びついている点に注目する言葉も見られます※5。これは、納棺の動きが単独で存在しているのではなく、役柄の内面や生き方と連動した表現として成立している、という評価だと言えるでしょう。

これらの発信に共通しているのは、目黒蓮さんを「型を覚えた俳優」としてではなく、「納棺の意味を理解しようとした表現者」として見ている姿勢です。専門家の立場から見て、その所作に違和感がないだけでなく、納棺という行為の本質に向き合っていることが伝わってくる――木村さんの言葉からは、そうした確かな手応えが感じられます。

技術指導という立場から、ここまで具体的に役者の姿勢や表現に言及することは決して多くありません。だからこそ、木村光希さんの発信は、『ほどなく、お別れです』における目黒蓮さんの納棺の儀が、表面的な演出ではなく、深い理解の上に成り立っていることを裏付ける重要な材料となっています。

納棺の儀における所作 ―― 実演映像から読み解く「本物の動き」

パンフレットに掲載されている写真では、漆原(目黒蓮)が静かに帯を整え、白い着物を広げる姿が切り取られています。一見すると淡々とした動作にも見えますが、納棺の儀において、こうした一つひとつの所作には明確な意味があります。

納棺の儀は、故人を「物として扱う作業」ではありません。生前の姿を思い起こしながら、身体を清め、身支度を整え、「人として、尊厳をもって送り出す」ための時間です。そのため、動作は決して急がず、無駄な力を加えず、常に故人に語りかけるような気持ちで行われます。

ここで参考になるのが、木村光希さん自身が実際に納棺の儀を行っている映像です。
たとえば、以下の動画では、現役納棺師としての木村さんが、実際の納棺の流れを非常に丁寧な所作で実演しています。

これらの映像を見ると、帯を整える動作一つを取っても、決して勢いよく引くことはなく、左右のバランスを確かめながら、手のひら全体で布に触れていることが分かります。また、着物を広げる際も、布の端を乱暴につかむことはせず、布の重みや流れに逆らわないよう、静かに広げていきます。

こうした実演映像を踏まえて予告映像やパンフレットの写真を見ると、目黒蓮さんの動作が、単なる演技的な所作ではなく、実際の納棺の動きを強く意識したものであることがより明確になります。手の位置、動かす速度、身体の傾け方――そのいずれもが、実際の納棺師の動作と共通する要素を持っています。

特に印象的なのは、動作の「間」です。木村さんの実演でも、次の動きに移る前に、必ず一瞬の静止があります。それは確認のためであり、同時に、故人と向き合うための時間でもあります。目黒さんの所作からも、予告映像の段階で、同様の「間」が大切にされていることが感じ取れます。

このように、実際の納棺の儀を行う専門家の動きを知った上で見ると、『ほどなく、お別れです』における納棺のシーンは、より立体的に立ち上がってきます。説明的な台詞がなくとも、所作そのものが語り、故人への敬意や別れの重みを静かに伝えている――そんな印象を受けるのです。

※1:https://x.com/okuribitokouki/status/1956513060274987117

※2:人間の最後の尊厳を守る―― 「おくりびと」2世の眼差し - Yahoo!ニュース

※3:https://x.com/okuribitokouki/status/1991415757058826672

※4:https://x.com/okuribitokouki/status/1991401275410509987

※5:https://x.com/okuribitokouki/status/1951121207367180348


納棺の儀とは何か ―― 別れの前に行われる、静かな時間

納棺の儀が持つ位置づけ

納棺の儀とは、故人を棺に納める前に行われる一連の所作を指します。葬儀の流れの中では、通夜や告別式ほど目立つものではありませんが、遺族や近しい人が故人と最も近い距離で向き合う、大切な時間です。
ここで行われるのは単なる準備作業ではなく、別れを受け止めるための儀式としての意味を持っています。

納棺の儀の流れと基本的なやり方

納棺の儀は、まず故人の身体を清め、身なりを整えるところから始まります。着替えを行い、髪を整え、必要に応じて顔や手に触れながら、生前の姿を思い起こす時間が設けられます。
この一連の流れにおいて大切にされるのは、効率よく進めることではなく、一つひとつの動作を丁寧に行うことです。身体を整えるという行為そのものが、故人を人として尊重し、最後まできちんと送り出す意思表示となります。

なぜ動作を急がないのか

納棺の儀では、動作を急がないことが強く意識されます。葬儀全体が限られた時間の中で進むものであっても、この時間だけは、あえて立ち止まることが許されます。
衣服を整える手つきや、身体に触れる際の力加減は、そのまま故人への敬意を表します。だからこそ、動きは静かで、無駄がなく、慎重に行われるのです。

遺族にとっての心の整理の時間

納棺の儀は、故人のためだけに行われるものではありません。遺族にとっても、この時間は大きな意味を持ちます。突然の別れであればなおさら、気持ちが追いつかないまま葬儀が進んでしまうことも少なくありません。
故人の身体に触れ、身支度を整える行為は、別れを現実として受け止め、心を整えるための大切な過程となります。

宗教や地域によって細かな違いはありますが、納棺の儀に共通しているのは、故人を「送られる存在」として丁寧に扱う姿勢です。
棺に納めるという行為は、終わりを意味する一方で、新たな旅立ちの準備でもあります。納棺の儀は、その節目に設けられた、静かで意味の深い時間なのです。

葬祭プランナーと納棺師、それぞれの役割の違い

映画『ほどなく、お別れです』では、葬儀に関わる仕事として「葬祭プランナー」と「納棺師(納棺士)」という二つの役割が描かれています。一見すると似た仕事に見えるかもしれませんが、実際には担っている役割や向き合う場面は大きく異なります。

葬祭プランナーとは何をする仕事か

葬祭プランナーは、葬儀全体を設計し、進行を支える役割を担います。遺族の意向を聞き取り、式の形式や流れを整え、必要な準備を一つずつ形にしていく存在です。
葬儀の規模や宗教形式、参列者への対応など、目に見える部分だけでなく、時間配分や段取りといった裏側まで含めて、葬儀全体を支えています。

映画の中でも、葬祭プランナーは遺族と向き合い、言葉を交わしながら「どのように送りたいのか」を汲み取る立場として描かれています。悲しみの中にいる遺族に寄り添いながら、現実的な判断を下していく仕事です。

納棺師が向き合う時間と役割

一方で、納棺師が担うのは、故人と直接向き合う時間です。納棺の儀において、身体を整え、棺に納めるまでの一連の所作を通じて、故人を送り出します。
この仕事は、段取りや進行よりも、「どのような気持ちで触れるか」「どのような間で動くか」といった、目に見えない部分が重視されます。

映画では、納棺師の所作が静かに描かれ、言葉少なに進む場面が印象的です。そこでは説明や会話よりも、動きそのものが意味を持ち、故人への敬意が表現されています。

同じ葬儀に関わりながら、立つ場所は違う

葬祭プランナーと納棺師は、同じ「葬儀」に関わる仕事でありながら、立っている場所が異なります。
葬祭プランナーは遺族の側に立ち、葬儀全体を見渡す存在です。一方、納棺師は故人の側に立ち、最後の身支度を整える存在と言えます。

映画では、この違いがはっきりと描かれています。遺族と向き合い、言葉を尽くす場面と、静かに手を動かす場面。その対比によって、葬儀という時間が多層的なものであることが伝わってきます。

二つの役割が重なり合うことで生まれるもの

葬祭プランナーと納棺師は、それぞれ独立した役割を持ちながらも、決して切り離された存在ではありません。
葬祭プランナーが整えた流れの中で、納棺の儀が行われ、納棺の時間があるからこそ、葬儀全体が「別れの場」として成立します。

映画で描かれる葬儀の場面は、この二つの役割が重なり合うことで、単なる行事ではなく、人の人生の終わりに寄り添う時間として立ち上がっています。
それぞれの立場が果たす役割を知ることで、葬儀という営みの奥行きが、よりはっきりと見えてくるのです。

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