成道会(じょうどうえ)とは?12月8日の意味・由来・お寺で行われる行事をわかりやすく解説

成道会(じょうどうえ)とは?12月8日の意味・由来・お寺で行われる行事をわかりやすく解説

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12月8日の「成道会(じょうどうえ)」は、お釈迦さまが悟りを開いた日として古くから大切にされてきた仏教行事です。しかし、名前は知っていても、実際には「どんな意味があるの?」「どんなことをするの?」と詳しく知らない人も多いのではないでしょうか。

この記事では、成道会の歴史や意味、由来だけでなく、実際にお寺で行われる行事や現代に生かせる教えなどを、仏教に詳しくない方にもわかりやすく解説します。

成道会とは何を記念する日?

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仏教伝承によれば、お釈迦さまは29歳で出家し、6年間の苦行の末、ついにインドのブッダガヤにある菩提樹の下で深い瞑想に入り、明けの明星を見た瞬間に悟りを開いたとされています。この日が旧暦の12月8日であったことから、現在でも新暦の12月8日に合わせて「成道会」が行われます。

成道会では、お釈迦さまがすべての生命の苦しみの原因を知り、その解決方法を悟ったこと、そしてそれを人々に説く決意をされたことが讃えられます。そのため、単なる記念日というよりも、「人間がいかにして苦しみから解放されるか」を示す象徴的な日とも言えるのです。

成道会が位置づけられる「三大法会」とは

仏教には、「三大法会(さんだいほうえ)」と呼ばれる三つの重要な仏教行事があります。これらは仏教の歴史の中で特に重要な出来事を記念して行われる法要であり、日本の多くの寺院で毎年行われています。

以下は三大法会の一覧です。

法会名

意味・内容

日付(新暦)

灌仏会

お釈迦さまの誕生を祝う(花まつり)

4月8日

成道会

お釈迦さまが悟りを開いた日

12月8日

涅槃会

お釈迦さまが入滅された日

2月15日

三大法会は、それぞれ「誕生」「悟り」「入滅」と、お釈迦さまの生涯の中でも特に大きな転機を記念するものです。成道会はその中でも「悟り=仏教の誕生」ともいえる瞬間を象徴しており、仏教という宗教が人類にとって「教え」として成立した記念日でもあります。

灌仏会では甘茶を釈迦像にかけて祝う儀式があり、涅槃会ではお釈迦さまの入滅(死)を悲しみ、感謝の気持ちで仏教を学び直す機会となります。成道会は、これらと並んで仏教の精神的核を成す行事なのです。

お釈迦さまが悟りに至るまでの道のり

お釈迦さまは、現在のネパール南部のシャカ族の王子として生まれ、名をシッダールタといいました。裕福で快適な宮廷生活を送りながら育ち、結婚して一児をもうけるなど、誰もがうらやむような環境にありました。

しかし、ある日、宮殿の外へ出て「四門出遊(しもんしゅつゆう)」と呼ばれる出来事に遭遇します。そこでは老人、病人、死人、修行者という四つの存在に出会い、人生における避けがたい「苦」の存在を知ります。老・病・死といった現実に強い衝撃を受けたお釈迦さまは、自らの人生の意味を深く問い始めるようになります。

その結果、29歳で家族と王位を捨てて出家の道を選びました。妃ヤショーダラと息子ラーフラを残して宮殿を去り、真理を求める修行の旅へと出たのです。以後、お釈迦さまは数々の修行者に師事しながら、厳しい修行を続けていくことになります。

苦行では悟りに届かないと気づくまで

出家後のお釈迦さまは、インド各地で名の知れた修行者たちに師事し、瞑想や精神統一の技法を学びましたが、それでも真理には到達できませんでした。その後は、当時行われていた厳しい苦行に取り組むようになります。

例えば、ほとんど食事をとらずに断食を続けたり、呼吸を極端に抑えたり、肉体を痛めつけるような修行が中心でした。こうした苦行を6年もの間続けた結果、身体は骨と皮ばかりになり、ほとんど生死の境にあるような状態になったと伝えられています。

しかし、どれだけ身体を痛めつけても悟りには至れないことに気づいたお釈迦さまは、苦行の道を断念します。極端な快楽も、極端な苦行も真理には至らないことを知り、その中間にある「中道(ちゅうどう)」の大切さに目覚めたのです。

そんなある日、餓死寸前だったお釈迦さまに、一人の村娘スジャータが乳粥を差し出しました。これを受け取ったお釈迦さまは、身体の回復を図り、改めて心の修行に集中する決意を固めました。この乳粥の逸話は、成道会で「乳粥の振る舞い」が行われる由来ともなっています。

菩提樹の下で行われた深い瞑想

身体の健康を取り戻したお釈迦さまは、菩提樹(ボダイジュ)の下に座り、「この場所で真理を得るまで立ち上がらない」と誓って深い瞑想に入ります。この地は現在のインド・ビハール州ブッダガヤであり、仏教徒にとっては聖地として知られています。

瞑想に入ったお釈迦さまは、内面の深いところでさまざまな「心の魔」に出会います。仏教ではこれを「魔軍(まぐん)」や「悪魔の誘惑」とも呼びます。これらは、恐怖、不安、怒り、欲望、迷いなど、人間の心の弱さや執着を象徴しています。

たとえば、肉体の疲労から来る苦しみや、自分が選んだ修行の道が正しいのかという疑念、あるいは「自分には無理ではないか」といった自己否定の感情などが次々に心に浮かびます。これらをすべて乗り越え、心の動揺を静め、あくまでも瞑想を続けたことこそが、お釈迦さまの精神的偉業のひとつなのです。

その夜、明けの明星が空に輝いた瞬間、ついにお釈迦さまはすべての存在の本質を悟り、「無上正等正覚(むじょうしょうとうしょうがく)」という完全な目覚めの境地に達したとされます。これこそが成道であり、仏教の始まりとも言える出来事です。

明けの明星の下で悟りを開く

お釈迦さまが瞑想を続ける中、ある日、東の空に明けの明星が輝くのを目にした瞬間、ついに悟りを開いたとされています。このとき、お釈迦さまは「我と大地のすべての生きとし生けるものは、本来仏である」と気づき、すべての存在が仏性を持っているという深い真理に到達しました。これが「成道(じょうどう)」であり、仏教の核心的な思想である「縁起」「無我」「中道」といった教えがこの時点で完成したとされています。

その瞬間に発したとされる「南無仏(なむぶつ)」という言葉は、仏の悟りに対する深い帰依の表れであり、現在でも多くの宗派で念仏の基本となっています。また、この「明けの明星」の象徴性は非常に強く、「目覚め」「光明」「転機」などの意味を持つものとして仏教美術や儀式においてもたびたび登場します。

成道は、単に一人の人間が悟りを開いたという個人的な出来事ではなく、後に多くの人々が仏教の教えを通じて人生を見直し、より良い方向へ導かれていく出発点となった出来事です。だからこそ、その日付である12月8日は特別な意味を持ち、現代に至るまで「成道会」として大切にされているのです。

成道会でお寺では何をするの?

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成道会の日、全国各地の寺院ではさまざまな法要や催しが行われます。それぞれの寺院や宗派によって内容は多少異なりますが、主に以下のような活動が行われるのが一般的です。

法要(読経・お念仏)

もっとも中心的なのが、成道会の法要です。僧侶が本堂でお経を唱え、参拝者がそれに参加する形式が一般的です。読経には、お釈迦さまの成道を讃える意味と、その教えを今に伝える意義が込められています。浄土宗や浄土真宗では、「南無釈迦牟尼仏」や「南無阿弥陀仏」といった念仏を唱え、仏への帰依の気持ちを表します。

座禅や瞑想体験

成道が瞑想によって得られたことから、多くの寺院ではこの日に一般向けの座禅や瞑想体験が行われます。静かな時間の中で自分と向き合い、日常の喧騒から離れて心を落ち着ける貴重な機会です。初心者向けに指導をしてくれる寺院も多く、特別な知識がなくても安心して参加できます。

乳粥(にゅうがゆ)の振る舞いがある理由

スジャータが乳粥を差し出した逸話にちなみ、成道会の日には「乳粥」が参拝者に振る舞われることがあります。この乳粥は精進料理として作られ、身体と心を整えるものとして古来より親しまれてきました。現代では健康食として見直されている面もあり、こうした行事を通じて仏教の歴史を体感できる良い機会となっています。

地域によって行われる「大根焚き」

関西地方、特に京都などの一部寺院では「大根焚き」と呼ばれる風習があります。大きな鍋で煮込まれた大根を参拝者にふるまい、一年の健康や無病息災を祈るという行事です。これもまた寒い季節に身体を温めるという実用的な意味合いと、お釈迦さまの苦行を偲ぶという精神的な意味が融合した文化的行事です。

浄土宗では「南無釈迦牟尼仏」「南無阿弥陀仏」を唱える意義

浄土宗では、成道会の法要において「南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)」を唱えることで、釈迦如来への感謝と帰依の気持ちを表します。同時に、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」を唱えることで、阿弥陀仏の救いにもつながる信仰の姿勢を示します。これは、歴史的な釈迦仏と信仰の対象である阿弥陀仏との両面から仏教を実践するという姿勢に基づいています。

まとめ:成道会を通して心を整える一日を過ごそう

成道会は、お釈迦さまが真理を求め続けた末に悟りを開いた日として、今も多くの寺院で大切にされています。読経や座禅、乳粥の振る舞いなどを通じて、私たちは仏教の根本精神に触れ、自分自身と向き合う時間を持つことができます。

12月8日は、1年を振り返る節目としてもふさわしい日です。お寺で行われる成道会に参加することで、心の喧騒を鎮め、自分の生き方を見つめ直すことができるでしょう。特別な信仰を持っていなくても構いません。誰にとっても開かれたこの行事に触れることで、新たな気づきや安心感を得られるかもしれません。成道会を通じて、静かに、しかし確かな心の変化を感じられる一日を過ごしてみてはいかがでしょうか。

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